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乙女峠まつり
5月3日は、島根県 津和野町の乙女峠まつりへ行ってきました。
お祭りとはいっても、巡礼です。

1867年(慶応3年)、長崎浦上村のキリスト教信徒153名(浦上四番崩)が流された
津和野藩の廃寺・光淋寺では、信徒に対して酷い拷問が行われ、36名が殉教しました。
当日は、あいにくの雨で残念でしたが、全国から(北は札幌教区、南は那覇教区)およそ2000人?
(ある地元新聞による)が集まったそうです。




乙女峠まつりは、津和野教会から乙女峠のマリア聖堂までの巡礼の行列で始まりました。
最初に歩くのは、子供たちの花撒き。


その後に、マリア像を担いだ乙女(女子高生)たち。


その後に、司教様や神父様が沢山。

その後に、全国から集まった信者たち。



町中を過ぎて峠の道に入ると、予想外の険しい道でした。



マリア聖堂に着くと、そこで記念ミサ。












ミサの後に、私は奥さんと十字架の道という殉教者のお墓までの、もっと険しい山道へ。





殉教者のお墓からマリア聖堂へ戻り、一休みして町へ下りました。

雨で少し冷えた体に、温かい昼食を食べました。

津和野名物?のうずめ飯。

ただの御茶漬けのようですが、昆布だしのかかったご飯を混ぜると
山菜などの沢山の具が出てきます。
おいしかったです。

熊本から車で片道300Kmちょっとの道のりは、津和野に流された信徒を思うととても快適でした。
お祭りとはいっても、巡礼です。

1867年(慶応3年)、長崎浦上村のキリスト教信徒153名(浦上四番崩)が流された
津和野藩の廃寺・光淋寺では、信徒に対して酷い拷問が行われ、36名が殉教しました。
当日は、あいにくの雨で残念でしたが、全国から(北は札幌教区、南は那覇教区)およそ2000人?
(ある地元新聞による)が集まったそうです。




乙女峠まつりは、津和野教会から乙女峠のマリア聖堂までの巡礼の行列で始まりました。
最初に歩くのは、子供たちの花撒き。


その後に、マリア像を担いだ乙女(女子高生)たち。


その後に、司教様や神父様が沢山。

その後に、全国から集まった信者たち。



町中を過ぎて峠の道に入ると、予想外の険しい道でした。



マリア聖堂に着くと、そこで記念ミサ。












ミサの後に、私は奥さんと十字架の道という殉教者のお墓までの、もっと険しい山道へ。





殉教者のお墓からマリア聖堂へ戻り、一休みして町へ下りました。

雨で少し冷えた体に、温かい昼食を食べました。

津和野名物?のうずめ飯。

ただの御茶漬けのようですが、昆布だしのかかったご飯を混ぜると
山菜などの沢山の具が出てきます。
おいしかったです。

熊本から車で片道300Kmちょっとの道のりは、津和野に流された信徒を思うととても快適でした。
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